虹と星
あの人がきっと捨てないハローキティ食中毒で倒れてしまえ
別れる気などないのに電話越しじゃきじゃきといま髪を切ってる
メンズ用シャンプーでよく洗ってもぬるい曲線、イブの末裔
背の高いおまえはきっとあいされてだからいつでも猫背なんだろ
わたしぼくおれうちあたしどれひとつ咀嚼できないくちびるなぞる
✕じゃない、✕じゃないけど〇じゃない、△じゃない、☆でもいいか
定めないことを定めちゃだめですか 証明写真を真後ろで撮る
くじら座のミラに/あるいはホテルの電飾になりたい来世 まだ先だけど
アウストラロピテクスから一等にとおいわたしの蛍光ピンク
虹色にまざれない夜を溶いた色つめにぬったよ、まだ乾かない
実はレインボーフラッグが、すこし苦手である。わかっている、あれは歴史ある大切なものだと。あれは象徴とプライドなのだと。だけれど、わたしはどうもあの高らかな虹色には「混ざれない」のだ。もちろんそれは大いに被害妄想的であると自覚してはいるが。
わたしはいわば「エックスジェンダー」である。性自認という立場から少し距離を取り、どちらかといえば両性。あるいは、中性。もしくは、無性。という自認のひとたちを、エックスジェンダーという。
わたしがはじめて自身に違和感を持ったのは初経のときだった。それまで、そう小学五年生まで、わたしは銭湯で男性風呂にはいることが「自分の中では至極普通のことだった」。その日を境に何かが崩れ始めた。鏡を見るのが嫌になった。日に日に丸みを帯びる輪郭が嫌だった。自分が男性だと思っていた訳では無い。ただ、女性とも思っていなかった。どちらとも思いたくなかった。二つに一つの、「男/女」という世界に産まれてしまったのが、何かの間違いだと思った。
いまはわたしは自分の身体を、まるで人形のように思っている。だから数種類のウィッグを日替わりにつけて、フリフリの可愛い服も、ざらりとしたメンズ服も、どちらも着ている。こうした生き方を選んでから、すこし息がしやすくなった。
わたしは、決めたくない。細分化した言葉を探すつもりもない。だから大きく見たら同じセクシャルマイノリティなのに、はっきり決めたい立場の方に攻撃されたことが多々ある。曖昧だと。もっと自分を知るべきだと。……曖昧で、何が悪いのだろう?流動的である性のあり方の、何が悪いのだろう。わたしなんて、曖昧だ。深夜に黒い服を着て屋根の上に立ってみたら、きっともう誰もわたしを見つけられない。それでもわたしは、わたしだけはわたしを知っている。ねえ、そんなものじゃないか。